ネットショップ運営の仕事に関しては思うところはいろいろあるんだが、一言でいうと「まずは感謝してます!」ってところだ。
結構楽しんでいたとは言え、いつまでも続けるつもりはなかった土木作業員の仕事を卒業することになった。
新たな仕事は、界隈では有名な飲食店のネットショップだったので、売る商品は既にいくつかあったし、良いお客さんもたくさんいた。
ネットショップ要員はすぐに僕1人になったので、ネットショップの構築、受注、お客様対応、梱包、発送まで全て1人でやっていくことになった。
当面は季節のイベントに合わせて、商品をパッケージし販売していくというのがメインでやる仕事だった。
まぁここで、ネットショップの運営方法や、手順を書いてもあんまり面白くなさそうなのでこんなもんにしておく。
おしゃれな人気レストランのネットショップ運営って聞くと、ネットでやるから楽で良いよねとか、おしゃれな職場で働けていいよねみたいな話になる。
はっきりってそんな事は全然ない。ナッシングだ。
めちゃくちゃ泥臭い作業していた。
写真撮影、バナー制作、ページ編集、メルマガ配信、製造部門、商品開発部門との連携、発注管理、ウェブの更新、梱包用の箱の組み立て、その他諸々もっと泥臭い仕事をこなしていた。
さらに元はネットショップの売り上げがないので、店舗間配送(お店は複数店舗あった)で自家用車を出して店舗まわりをりもしていた。
つまり、車通勤することになるのだが、これがいけなかった。
車で行くということは車で帰るということだ。
電車だと終電というお尻の時間が発生するが、車だとお尻の時間が無いのである意味無限だ。
朝も早かった。
繁忙期となれば、6時台の電車に乗って出発だ。
この頃、子供が1歳〜2歳の時なのだが、朝は子供が寝ている間に出発し、夜は子供が寝てから帰ってくるという日々が週6回だった。
子供からしたら僕はいない人ということになっていた時期があったはずだ。
こんな風に書けば、さぞかし辛い日々を送っていたように聞こえるが、実際のところはそんな事は無い。
ネットショップ運営に関しては、ほとんど自由にやらせてもらっていたし、職場の人間関係もすこぶる良かった。
中でも、連絡を密にやりとりをしていたパティシエの兄ちゃんとは気が合い、クリスマスケーキの徹夜の仕込みのときには、パティシエの兄ちゃんの家までパジャマを取りに行ったこともあった。
まぁエピソードには困る事は無いのだが、ここでめちゃくちゃ重要なのは、起業するとか会社を持つとか社長になるとか、お花畑を歩くようなメルヘンの世界ではないということだ。
何をもって成功なのかはさておき、利益を出せるようになった会社の社長なんかは、理想、理念、ビジョン何かを押してくる。
個人でも利益を出していると、ちょっとやって稼げましたとか、自由を謳歌していますとかそんな耳障りの良い話ばっかりだ。
これがまた、あながち嘘でもないからたちが悪い。
ただその状態に至るまでにどこかで必ず泥臭いことをしている。
そこを見せないようにしているだけだ。
そんな泥臭い世界があることを知らないお花畑思考の僕なんかが、キレイ事を真に受けて、えいやっといきりたって会社を辞めてえらい目にあう。
僕のネットショップ運営のように、お客さんもいて商品もあっても、めちゃくちゃ泥臭い作業をする期間が長かった。
1年から2年経ってようやく売上もそれなりにたちはじめ、仕事の導線も整い、コンスタントに子供と朝ごはんを食べ、一緒に寝れる生活を送れるようになった。
結局ネットショップ運営は、4年半携わった。
ネットショップ運営では仕事は泥臭くやるときも必要だってことが痛いほど身にしみた。
今では泥臭いという言葉が大好きだ。
さてさて、少しばかり時間の余裕が出てきたころから、兼ねてから目をつけていた副業というか本業というか、ネットビジネスに改めて向き合うことにした。